「本番マナ板の舞台に25年間上がり続けた漢(おとこ)」     スポットライトを浴びろ!




読者名誉隊員:シロクマ様の投稿レポート       (読者投稿TOPへ戻る


 

遂に私が恐れていた事態が起こりました。T劇場が2月7日以降本番マナ板ショーを止めてしまいました。
(3Fとお風呂はまだ営業していますが。)

そこで、私の本板ショー25年の思い出をレポートさせていただきます。長くなってしまいましたが、ご容赦ください。

 

前回、私のストリップで本番マナ板ショー・デビューの記念(?)すべき話しをさせていただきました。
今回は続編で「変態への道」をお伝えします。尚、廃業した劇場並びに引退された踊り子は実名を
出しますが、営業中の劇場と現役の踊り子さんは名前をぼかします。

本番マナ板デビューした昭和50年代後半、当時はストリップの黄金時代で、都内でも新宿6件、渋谷2件、
池袋
3件の劇場があり、東京郊外や千葉、埼玉、神奈川を含めると30件を超える劇場があり、その8割以上の
劇場で本番マナ板ショー(以下、本板ショー)がありました。踊り子さんも「何でこんな可愛い子が?」という人が、
デビューでいきなり本板ショーをしていました。

イケイケ本番時代:昭和50年代後半から就職する昭和60年までは、新宿D、西船橋OS劇場によく行きました。
この次期の私はヤルことしか考えていなかったため、踊り子さんの顔と名前を殆んど憶えていません。
新宿
Dは日本人の踊り子のダブルやトリプル本番ショーが3組位、西船橋OS劇場は日本人の踊り子のダブルや
トリプル本番ショーが2組と外人(フィリピーナ)のトリプルやフォース本番ショーが2組ありましたので、どちらに行っても
3〜4人相手に発射できました。ダブル以上の本板ショーでは、舞台の上から他人の行為が観られて、新たな刺激を
発見しました。遠征した千葉の某劇場では、初めて個室サービスを経験しました。水木蘭という凄い美人の本板ショーは
競争が激しく、ジャンケン(以下、
JK)に負けた私は個室(3,000円也)で、彼女と対戦しました。他に美人の踊り子として
紺野リサ嬢が記憶に残っています。

関西中心時代:昭和60年〜平成4年の間は、仕事で大阪に住んでいたため、関西圏の劇場に出没しました。
この頃から全国的に警察がストリップの摘発を始めており、近畿圏でも数軒の劇場が廃業したり、本板ショーを
止めたりしだした時期です。特に大阪の花博(平成2年)前の取締り強化により、
N県以外の劇場から本板ショー
がなくなってしまいました。この時期は本番が減少していった分、その「ありがたみ」が分かり始め、踊り子の顔と
名前が一致し始めた頃です。当時の本板ショーは、フィリピーナ(後に、コロンビアーナ)に支えられていました。
外人嫌い(オッパイも舐めさせてくれない姫が多いから)の私が一番多く、ピーナと対戦した時期です。
この頃印象に残っているのは、レズショー+本板ショーという演目で、高○姉妹と嘉手納姉妹がいます。
嘉手納姉妹は双子の美人で
N県の劇場で対戦しましたが、クンニすると薄っすら塩味のジュースが出てきました。
高○姉妹は年配の姉と若い妹の二人組で、妹を希望しましたが
JKで負けてしまい、姉と対戦しました。
この時は、京都の某劇場でしたが、団体客の中にオバサンが数名いて、見知らぬ女性の目の前で始めて実演し
ギンギンの息子を見せてやりました。

本板消滅時代:平成5年に東京に帰ってきた私は、渋谷OS劇場、新宿OS劇場、越谷大劇、
旧わらび
OS劇場他(埼玉方面)に本板ショーが残っていることを突き止め、早速出撃しました。
本場関西で絶滅した本板が、東京で残っていたなんて\
(^o^)

私のホームと化したのは、渋谷OSでした。職場帰りに寄れる手軽さに加え、本板が2組もありましたぜ。
しかも暇なジイサン&サボりサラリーマンが帰った
3回目の前半はガラガラのため、1組目の本板は
No JK(つまりジャンケンなしね)で上がれる!しかも2組とも倭人でした。実はこの劇場、警察の手入れを
避けるため、1・2回目は本番の変わりにタッチ・ショーをしていました。
3回目から本板がスタートです。

以前の本板ショーは、1人の踊り子がお客を2人相手しましたが、この頃は1人になっていました。その分、
お客に対するサービスも向上し、オッパイやマムコをたっぷりいじる&舐めることができるし、執拗なオフェラも
してもらいました。渋谷での思い出は、若者3人連れの中にオネエチャンがおり、そのオネエチャンの前で
実演したことです。

他では旧わらびOS劇場で、レモン嬢との生体験です。この方は細身でややお年の姫で、人気に翳りが
出ていましたが、私は細身が好きで、脚フェチの気もあったので、よく彼女と対戦していました。
舞台で対戦した直後に個室(
3,000円也)に入り、壁に手を付いてもらい、後ろからその美脚、おしり、アナル、
マムコを丁寧に舐めていると、本気汁が出てきました。愚息をキレイにしてもらい、フェラ・・・
と思うとゴム付けてません。初めて受けるストリッパーからの生尺です。彼女が動いたので、体勢を変えて
シックスナインか、と思った途端、私の愚息は騎乗位でレモンさんのマムコに包まれました。気が動転したおかげ
プラス
15分前の射精で、騎乗位からバック、正常位で生姦を楽しみ、中出しまでさせていただきました。

さらば本板ショー:細々と行われていた本板ショーも、平成139月 新宿OS劇場が閉館、平成1412月 
わらび
OS劇場が閉館、平成157月 渋谷OS劇場が閉館、平成169月 越谷大劇が閉館しました。
最後の牙城、本板マニアの聖地であるT劇場(中部地区)も
2月から本板ショーを辞めてしまいました。
入場料だけ払えば、後は運次第(ジャンケンで勝抜くことです)で「本番」ができた時代がまさに終焉を
迎えました。(涙)

40歳以上のオヤジ達の中には美しかったり(?)、悔しかったり(JKで勝てず)、楽しかった思い出が
ストリップの本板ショーにあると思います。晩年の渋谷OSで本板の競演を終え、席に戻った私に
「こんなことができるショーが、あったんですね。」と眼を輝かせて話し掛けてきた若者が瞼に焼きついています。
時代が
20年前なら、彼も本板マニアになれたでしょう。残念!



隊長より:
なんかスゲ−ぜ。歴史の生き証人やがな。
ちくしょう何だか涙が出てきやがった。。
思わず土田世紀氏の幻の名作「俺節」を思い出した。この物語では演歌歌手を目指すコージが
舞台で毎日本番をしていた外国人の踊り子と恋に落ちるのである。それをなぜか強烈に思い出した。
読んでない人は是非必読。演歌を題材にしているにもかかわらず、読み手の魂を揺さぶる作品だ。
ん?なんかアマゾンのレビューみたいになってるな(汗)
まぁいいか。シロクマさん。文句無く名誉隊員の殿堂入りです。(迷惑でしょうが。。。わかってください)


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